生理学・医学賞の坂口教授に続いて、再び日本からノーベル受賞者が誕生します。
2025年、京都大学高等研究院特別教授の北川進氏が「空間の化学」の開拓によりノーベル化学賞を受賞することが決定しました。北川教授が生み出した多孔性配位高分子(PCP)/金属有機構造体(MOF)は、分子を自在に取り込み、選択的に放出できる“穴の化学”として世界を驚かせています。
報道では主に、二酸化炭素の吸着や水素の貯蔵といった環境・エネルギー分野での応用が強調されています。しかし、その可能性はそれだけにとどまりません。
医療の分野でも、MOFは新しい治療法を切り拓こうとしています。たとえば、MOFの細かな孔に薬を閉じ込め、がん細胞の周囲に見られる酸性のpHやわずかな温度差といった体内の特殊な環境に到達したときだけ薬を放出する――これは「ドラッグデリバリーシステム(DDS)」と呼ばれる仕組みです。この方法により、副作用を抑えつつ、必要な場所にだけ薬を効かせることができると期待されています。
実際にDDSの考え方を応用した抗がん剤もすでに登場しています。代表例が膵がん治療で使われているオニバイド(イリノテカンを脂質のカプセル=リポソームに包んだ製剤)で、薬剤ががん組織に選択的に集まりやすくなり、抗腫瘍効果の増強と副作用の軽減が期待されています。これはDDSの実用化例であり、北川教授のMOF研究が、今後さらに精密な薬物送達を可能にする道を示しています。
こうした医療応用は、国内の報道ではあまり大きく取り上げられていません。しかし、基礎研究から臨床応用への橋渡しが着実に進んでいます。
一見すると“無用”に思える穴が、実は人の命を救う力を秘めている。北川教授が大切にしてきた「無用の用」という哲学は、ここでも鮮やかに息づいています。基礎研究から生まれた小さな空間が、環境を守り、エネルギーを支え、そして医療の未来を変える――その広がりこそが、今回の受賞の真の意味だと考えます。
(2025.10.09)